有電小史


有間電鉄は日本有数の温泉地である有間温泉の来訪客や沿線地域の農作物、さらに有間周辺の銅山から産出される粗鉱の輸送を目的に、当時の有間鉄道が建設した路線である。有間温泉への鉄道は明治時代から箕面有間電気軌道(現在の阪急電鉄)や有間電気軌道などにより計画されていたが、いずれも資金や技術の問題が生じたため実現には至らなかった。

 

1913年に地元の代議士・山脇延吉を発起人総代とする有間鉄道が軽便鉄道の敷設免許を申請し、1914年に国有鉄道福知山線(現在のJR宝塚線)三田駅より有間に至る鉄道免許状が下付された。軌間は国鉄と同じ1067ミリ、動力も蒸気として国鉄福知山線への乗り入れに考慮していた。1914年7月に有間鉄道株式会社が設立され、敷設工事を経て1915年4月16日に開業。当日は記念式典の他にも神社で餅まきが行われるなどして祝賀気分を盛り上げた。

 

開業当初は1日8往復の運行で、客車と貨車を一緒に連結した列車もあり所要時間はまちまちであった。内1往復は大阪駅発着の国鉄直通旅客列車であり、この列車を利用して沿線で穫れた野菜類を大阪の料亭に売り込んだり、事前に頼まれた物品を買って届ける商売が存在していたという。当時、山口駅・有間駅間には33パーミル(鉄道線路の勾配基準。この場合1000メートルあたり33メートルの高さを登る程度の勾配)の急勾配が随所にあり、特に雨天時には機関車の車輪が空転する難所であり、機関士の腕の見せ所でもあった。

 

小規模な鉄道会社でありながらも有間温泉の発展とともに順調に業績を伸ばし、1920年代に入るとバスの運行を、1930年代には有間観光ホテルの運営を始めた。有間観光ホテルは100室の客室を持つ豪華な造りで「東洋一の温泉ホテル」とも称されたが、戦時中は軍の徴用施設となり、終戦後も引き続き休暇施設として占領軍に接収された。戦時中は有間温泉の入湯客減少に伴い旅客収入は激減したが、国策により粗鉱の増産が要求されたことで貨物収入が増加したため会社が傾くことは無かった。それでも終戦を迎える頃には深刻な資材不足によって車両の稼働率は落ち、窓の殆どがベニヤ板で代用される有様であった。

 

復興期においては石炭事情が悪化(価格高騰や低質炭の流通)したことから1951年に直流1500V電化を実施。従来に比べて運転本数の増加やスピードアップが実現した反面、大阪方面からの利用者は国鉄線の運転本数が少ないために伸び悩み、多額の初期投資が経営を圧迫した。ところが戦後に再び賑わいが戻った有間温泉や有間観光ホテルの接収解除(営業再開)を受けて徐々に回復、1960年代には国鉄線直通専用車両を新造できるまでになった。社名を有間電鉄に改めたのもこの頃である。

 

一方、戦時中の収入源であった鉱石輸送については産出量減少に伴う閉山で1962年に廃止。貨車の多くは廃車され、電化に合わせて製造したばかりの電気機関車も用途を失ったが、これらは後の上水用ダム建設や有間電鉄線の複線化工事に活躍することとなる。

 

1970年代に入ると山口駅付近に中国自動車道のインターチェンジが設置される運びとなり、建設用地提供のため1972年に山口駅・二郎駅間の線路を新しい経路に付け替えたほか、新設道路と交差する山口駅は装い新たに高架駅とした。インターチェンジ開設と山口駅高架化により沿線では流通団地や住宅の開発が活発化し、計画人口15万人を謳う「北摂・北六甲ニュータウン」の開発が着々と進められた。

 

こうした中で有間電鉄は国鉄福知山線と共に輸送力の増強が急務となり、1980年にはフリークエンシーサービス(高頻度運行)の提供を要とする「有間電鉄輸送改善計画」を策定。本計画に基づいて三田駅・山口駅間の複線化(1990年完成)、新型車両による車両増備(700形投入)、国鉄直通運転列車の増便(大阪駅発着の快速電車運転)などが行なわれた。これらの実現によって有間電鉄は行楽輸送の他に、新興住宅街から大阪方面への通勤・通学輸送も担う大都市近郊型の中小私鉄へと変貌した。

 

1995年に発生した阪神・淡路大震災では線路陥没や法面崩壊などの被害を受けたが、懸命な復旧作業により1週間足らずで全線開通。同時期に復旧した神戸電鉄やJR福知山線と連絡することで大阪・神戸間の迂回ルートを形成し、大阪駅・有間温泉駅間の臨時直通快速としてJR西日本各線で運用されていた113系・103系電車が連日有間電鉄に乗り入れた。直通運転に際しては車種ごとに運転操縦や機器の取り扱い方法を習熟する必要があるが、この2形式については震災以前より臨時列車として有間電鉄への入線実績があったため即座に対応することができた。

 

震災後は観光客数が激減した有間温泉の復興と活性化に注力した。もともと土休日に数往復運行されるのみであった大阪・有間温泉駅間の直通列車を、2000年のダイヤ改正では毎日1時間間隔(早朝・深夜をのぞく)の運転に改めた。また、JR大阪駅・三田駅間では本改正で新設された「丹波路快速」と併結し、有間電鉄線内でも快速運転を行なうことで利便性を大幅に向上させた。

 

最近では有間温泉駅の駅舎改築や新型車両投入などの明るい話題が目立つ一方、沿線のニュータウンでは緩やかな人口減少と急激な高齢化が顕著となっている。有間温泉も訪日外国人観光客の増加に伴い観光客数が震災前の水準へ回復しているが、こちらも今後の情勢によっては減少するおそれがある。

 

開業100年を越えた有間電鉄。 

長年築き上げた信頼と実績をもとに、新たな経営方針「深耕と開拓」を合言葉に沿線地域の魅力を掘り起こし、これまでと変わらない賑わいの創出に努める地域共生型企業となることが次なる目標である。